横浜地方裁判所 昭和49年(ワ)1198号 判決 1977年2月28日
原告天谷一郎、同天谷健二の法定代理人親権者兼原告 天谷時雄
<ほか三名>
右訴訟代理人弁護士 岡村親宜
同 小林良明
被告 株式会社 東京鍛工所
右代表者代表取締役 中西朝雄
右訴訟代理人弁護士 井原邦雄
同 井原一雄
同 神山岩男
主文
被告は、原告天谷時雄に対して金七一、九五八、五三四円、原告天谷清子に対して金三、〇〇〇、〇〇〇円、原告天谷一郎に対して金五〇〇、〇〇〇円、原告天谷健二に対して金五〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四七年八月五日から完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
原告らのその余の請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は二分し、その一を原告らの、その一を被告の負担とする。
この判決は、第一項の原告天谷時雄に支払うべき金七一、九五八、五三四円中金一〇、〇〇〇、〇〇〇円の限度にかぎり仮に執行することができる。
事実
原告ら訴訟代理人は、「被告は原告天谷時雄(原告時雄という)に対し金九八、八七七、〇〇〇円、原告天谷清子(原告清子という)に対し金三、三〇〇、〇〇〇円、原告天谷一郎(原告一郎という)及び原告天谷健二(原告健二という)に対してそれぞれ金一、〇〇〇、〇〇〇円及び右各金員に対し昭和四七年八月五日から完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決竝に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。
一 当事者
原告時雄は、被告会社製造部検査課で働いていた労働者であるが、現在後記の本件事故によって休職中である。原告清子は原告時雄の妻であり、原告一郎、同健二はそれぞれ原告時雄の子である。被告会社は原告時雄の使用者で、かつ、鍛造業界において専業メーカーとして日本有数の企業である。
二 本件事故の発生
昭和四七年八月四日午前六時二〇分頃、川崎市川崎区四谷下町二五の一所在被告会社製造部検査課仕上作業場において、原告時雄が、研削作業用のエアーグラインダー(瓜生製作(株)製UG一五〇型番号三〇三七三号本件エアーグラインダーという)に平型ポリノイドといし(日東産業(株)製、直径二〇五粍、厚さ一六粍、孔径一五・八八粍、型式JISR六二一二―四、許可番号第八七七五号)を取付けて、自動車用鍛工部分カムシャフトの表面研削作業(バリ取りという)に従事中、右といしが破損し、その破片が原告時雄の顔面にあたり、そのため原告時雄は両眼球破裂兼鼻骨骨折の傷害を被った。
三 被告の労働契約に基づく安全保護の債務
1 労働安全衛生規則第一一九条(旧規則第七五条)には、エアーグラインダーの装着といしの最高使用周速度をこえて回転させると、比較的小さい衝撃があっても容易にといしが破壊する危険があるため、「事業者は研削といしについては、その最高使用周速度をこえて使用してはならない」と定めてある。従って、事業者はエアーグラインダーが故障して最高使用周速度をこえて回転する場合には、労働者に対して直ちにその使用を禁止することは勿論、万一エアーグラインダーの調速機が故障したときでも回転数が異常に上昇しないように常時定格空気圧(当該エアーグラインダーを作動さすのに決められている空気圧をいう)を維持する債務がある。
2 エアーグラインダーはその構造上最高使用周速度をこえて回転する危険があるので、事業者は、最高使用周速度をこえた場合にはそれを知らせる安全装置を設置するとともに、その場合に労働者が緊急にとるべき具体的な措置を定め、これを労働者に周知徹底する債務がある。
3 事業者は、エアーグラインダーが稼働中、不幸にしてその装置といしが破壊した場合においても、といし衝突による人身事故を防止するため安全保護具を着装させる債務がある。
四 本件事故の発生原因
1 被告は、本件エアーグラインダーの調速機が故障し、定格空気圧のもとでも、着装といしの最高使用周速度を大幅にこえて回転することを十分に知りながら、代替エアーグラインダーが仕上作業場にないことを理由に、原告時雄に対してこれの使用を命じた。そしてまた、本件エアーグラインダーの定格空気圧が六kg/cm2であるので、空気圧を右定格空気圧以下に維持しなければならないことも十分に承知のうえ、空気圧を六・七五kg/cm2で送気した。その結果、本件エアーグラインダーが、最高使用周速度毎分四、八〇〇米を大幅にこえる毎分約五、九九五米で回転したため、原告時雄がこれを用いて作業中といしの破損を発生させたものである。
2 被告は、本件エアーグラインダーが最高使用周速度をこえて回転した場合の安全装置の設置を怠り、原告時雄に対して右の場合緊急に措るべき措置の安全教育を徹底せず、安全保護具をも着装させなかったので、前記傷害を被らせたものである。
五 被告の責任
1 被告は、前記のとおり債務の不履行によって、原告に損害を与えたものであるから、民法第四一五条によってこれが損害を賠償しなければならない。
2 仮に、右債務不履行による損害賠償の請求が認められないとしても、前記安全保護債務の内容は、不法行為における注意義務にも該当するから、被告は故意又は重大な過失によって本件事故を発生させたことになり、民法第七〇九条によってこれが賠償の責に任じなければならない。
六 原告時雄の受傷と後遺症
原告時雄は、本件事故発生後川崎市の川崎中央病院にかつぎ込まれ、鼻骨に突き刺ったといし破片の除去手術を受けた。昭和四七年九月三〇日えぐり取られた鼻骨に形成手術のため東洋医大附属東横病院に入院し、肋骨の一部の骨を鼻に移骨し、かつ、変形したこめかみの整形手術を受けた。そして、同年一一月二五日一たん病院を退院したが、なお、頭皮をはがしてえぐりとられた鼻に覆う形成手術のために通院を続け、同四八年八月四日に終了した。その間、同年五月一九日から同年七月六日まで、義眼そう入のため日本義眼研究所に通院した。また、頭部精密検査のため、同年九月一〇日から同月二九日までの間昭和大学病院に入院した。
原告時雄は、自宅において、平行感覚喪失のため起き上るとふらふらするので、短時間ふとんの上に座る以外一日中寝たままの生活を余儀なくされている。トイレも風呂も、部屋内の起居、歩行も他人の介助なくしては何もできない状態である。両眼失明、匂いと味覚を喪失し、断続的な頭痛を覚えるほか血圧が上昇し、高血圧症となっている。原告時雄の右の後遺障害は、労働能力を一〇〇パーセント喪失させたものと判断される。
七 原告時雄の被った損害
1 本件事故の発生した昭和四七年八月四日から同五一年八月末日までの約四年間に、原告時雄の得べかりし賃金。 金三、二九三、〇〇〇円
(一) 原告時雄は、昭和四五年一月一九日被告会社に入社し、事故当日まで真面目に勤務していた当時満三四才(昭和一二年一〇月一五日生)の健康な労働者である。
本件事故前の一年間、すなわち、同四六年八月から同四七年七月までの賃金の総額は金一、二四三、九一五円であった。
(二) 原告時雄の得べかりし賃金につき、昭和四八年までは被告会社における実績賃金により、同四九年から同五一年までは労働省発行賃金センサス第一表による全産業、企業規模計、学歴計、全年令全男子労働者の平均給与額によって推計すると別表第一のとおりになる。但し、同五〇年度、同五一年度は、同四九年度の給与額に労働省発表「昭和五〇年度民間主要企業の春季賃上げ状況」による賃上げ率一四・二パーセントを乗じた金額とした。損益相殺額は、後記8の賃金補助金および労災保険給付金の合計額である。ホフマン係数は年五分の利率による各期の現価額表によるものである。
2 昭和五一年九月以降同六九年一〇月(満五七才の定年退職時)までの原告時雄の得べかりし賃金。 金六三、〇七〇、〇〇〇円
原告時雄の昭和五〇年度の得べかりし年収額を前記の金二、三四八、二〇〇円とし、これを基礎として、賃上げ率を控え目に毎年一〇パーセントとして右期間の得べかりし賃金をホフマン方式を用いて現価を計算すると別表第二のとおりになる。
3 昭和六九年一一月以降すなわち停年退職後の原告時雄の得べかりし収入。 金九、七一六、〇〇〇円
(一) 我国の平均余命は、現在大幅にのびており、厚生省発表「昭和四九年簡易生命表」によれば、〇才男子の平均余命は七一・一六才となっているから、その就労可能年数は六七才とするのが相当である。
原告時雄が、定年退職後の昭和六九年一一月から満六七才に達する同七九年一〇月までの一〇年間、何等の方法によって稼働して生計費を得ることは容易に推測できるところである。
(二) ところで、原告時雄の右一〇年間の収入は、ごくごく控え目に見積っても、昭和五〇年度の年間給与額金一、三四八、二〇〇円を下廻ることはあり得ないから、右金額を基準にして、ホフマン式方式で現価を算出すると次のとおりになる。
金2,348,200円×{19.183(33年のホフマン係数)-15.045(23年のホフマン係数)}=金9,716,000円(金1,000円未満切捨)
4 原告時雄の得べかりし退職金。 金六、九五一、〇〇〇円
原告時雄は、昭和四五年一月一九日被告会社に入社以来、本件事故にあわなければ、同六九年一〇月の満五七才の定年退職時まで稼働したはずでありその勤続年数は二二年九月となる。被告会社における、定年退職の場合に適用される退職金支給率は本給の二八・六二五である。原告時雄の定年退職時の本給は、少くとも金五二二、〇〇〇円と推定されるから、これに右係数を乗じホフマン式計算によって現価を算出すると次のとおりになる。
金522,100円×28.625×0.4651(23年のホフマン係数)=金6,951,000円(金1,000円未満切捨)
5 付添費 金二九、四八三、〇〇〇円
(一) 原告時雄は、他人の看護なしに日常生活を営むことは不可能となり、生涯付添介護を必要とすることになった。そして、その生年月日は、昭和一二年一〇月一五日であるから、厚生省統計第一二回生命表によると、その平均余命は三八年である。
(二) 昭和四七年八月四日以降同五一年八月末までの付添看護費用。金四、二九九、〇〇〇円
昭和四七年八月以降同五一年八月までの職業家政婦の日給は次のとおりである。
年度
日給(円)
基本給(円)
法定手数料(円)
四七
二、六四〇
二、四〇〇
二四〇
四八
二、九七〇
二、七〇〇
二七〇
四九
三、四六五
三、一五〇
三一五
五〇
三、九六〇
三、六〇〇
三六〇
五一
″(推定)
″(推定)
″(推定)
原告清子は、本件事故以来原告時雄の付添看護を行っているから、その付添費用を職業家政婦の日当を基準にして算定すると次のとおりになる。
(1) 昭和47.8.4~同48.8.3
金2,640円×365×0.952(1年のホフマン係数)=金917,347円
(2) 昭和48.8.4~同49.8.3
金2,970円×365×{1.861(2年のホフマン係数)-0.952(1年のホフマン係数)}=金985,401円
(3) 昭和49.8.4~同50.8.3
金3,465円×365×{2.731(3年のホフマン係数)-1.861(2年のホフマン係数)}=金1,100,310円
(4) 昭和55.8.4~同51.8.31
金3,960円×393×{3.564(4年のホフマン係数)-2.731(3年のホフマン係数)}=金1,296,381円
以上(1)+(2)+(3)+(4)の合計
金4,299,000円(金1,000円未満切捨)
(三) 昭和五一年九月以降同八五年までの付添看護費用。金二五、一八四、〇〇〇円
付添看護費用を昭和五〇年度の職業家政婦の日給金三、九六〇円とするのが相当であるから、右期間の付添費用の現価をホフマン方式によって算出すると次のとおりである。
金3,960円×365×{20.970(38年のホフマン係数)-3.546(4年のホフマン係数)}=金25,184,000円(金1,000円未満切捨)
(四) そうすると、原告時雄に対する付添看護費用の合計は金二九、四八三、〇〇〇円となる。
6 慰藉料 金一五、〇〇〇、〇〇〇円
原告時雄は、本件事故当時満三四才の健康な労働者で、一家の大黒柱として誠実に稼働し、その賃金収入で生計を支えていたものである。本件事故によって、前記のとおりの傷害を被り、一〇〇パーセント労働能力を喪失し、再起は全く不可能となった。従って、その精神的苦痛は筆舌に尽せない。よって、これを慰藉するには、入院・通院期間の慰藉料として金三、〇〇〇、〇〇〇円、後遺障害に対するものとして金一二、〇〇〇、〇〇〇円、合計金一五、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
7 弁護士費用 金六、〇〇〇、〇〇〇円
原告時雄は、被告が損害を賠償しないので、やむなく弁護士岡村親宜、同小林良明に訴訟の追行を委任し、勝訴の場合日本弁護士連合会報酬等基準規程に従い、手数料及び報酬を支払う旨約しているので、弁護士費用として少くとも金六、〇〇〇、〇〇〇円が相当因果関係にある損害というべきである。
8 損益相殺
原告時雄は、本件事故後昭和四八年一〇月迄被告会社から月々公傷手当金および夏冬二回の賞与をうけており、また、同五一年八月末日までに労災保険法に基づき保険金の支給を受けているので、前記1別表第一記載のとおり金二、三七七、七〇八円を控除する。
9 総額 金一三三、五一三、〇〇〇円
以上の原告時雄の損害額を合計すると、その合計額は金一三三、五一三、〇〇〇円となる。
七 原告清子の損害 金三、三〇〇、〇〇〇円
1 原告清子は、原告時雄の妻として、生活の柱である夫が失明し、幼い子供二人と原告時雄の老母をかかえ、生活に困窮しその前途には希望も少く暗澹たるものがある。よって、同人の精神的苦痛を慰藉するには少くとも金三、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
2 原告清子は、被告が任意に右慰藉料を支払わないため、弁護士岡村親宜、同小林良明に訴訟の追行を委任し、勝訴の場合手数料及び報酬の支払を約している。そして、その弁護士費用は金三〇〇、〇〇〇円が相当である。
八 原告一郎、同健二の損害
原告一郎は原告時雄の長男、原告健二はその次男であり、本件事故当時原告一郎は五才、同健二は三才であった。父親である原告時雄が失明し働くことができなくなった悲しみは察するに余りある。よって、同原告らの精神的苦痛を慰藉するには、少くとも夫々金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
九 結論
以上によって、被告に対して、原告時雄は金一三三、五一三、〇〇〇円の内金九八、八七七、〇〇〇円、原告清子は金三、三〇〇、〇〇〇円、原告一郎、同健二は各金一、〇〇〇、〇〇〇円および右の各金員に対する本件事故の翌日である昭和四七年八月五日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴請求に及んだものである。
一〇 なお、原告らは、右の主張に反する被告の主張はすべてこれを争う旨付陳した。
≪証拠関係省略≫なお検乙第一号証のエアーグラインダーは本件エアーグラインダーと同一物ではなく、検乙第二号証のプレッシャーメーターグラフも本件事故と関係のない別物である旨付陳した。
被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、請求原因事実中、原告時雄が昭和一二年一〇月一五日に出生し、同四五年一月一九日被告会社に入社し製造部検査課で働いていた者であり、被告会社が鍛造業界において専業メーカーとして日本有数の企業であること、原告時雄が、その主張の日時場所において、エアーグラインダー(但し、本件エアーグラインダーとは別のもの)を使用してカムシャフトのバリ取りに従事中、といしが破損し、その破片が顔面にあたって、顔面挫創、両眼球破裂兼鼻骨骨折の傷害を被ったこと、原告時雄の入院と通院の経過は認めるが、その余はすべて争うと述べた。
被告はその主張として次のとおり述べた。
一 本件事故は、原告時雄がカムシャフトのバリ取り作業中、居眠りをしてエアーグラインダーを作業台上に落すという重大な過失によってといしが破損し、その破片が顔面にあたって発生したものである。
1 本件作業台の上にエアーグラインダーのといしで擦った痕跡が存在し、これはといしの破片があたって生じたものではなく、といしが回転していた状態で擦って出来た痕跡とみられること。
2 原告時雄が当時使用していたエアーグラインダーには、一枚鋼板の厚さ三粍の防護カバーが取りつけられてあった。右防護カバーは、作業者側からみて左側が少し曲っている程度で、上部には何等の損傷もない。
カムシャフトのバリ取り作業中にといしが破損すると、その破片は作業者からみて、左斜上方に飛び散り、右側にその破片が飛ぶことは経験則上あり得ない。ところが、本件事故直後破損したといしの破片の大きいものが、原告時雄の作業位置からみて左側に一個、右側に四個落ちていたのである。正常な作業状態のもとでは、といしの破片が作業者の右側に多く飛散するということはあり得ない。もっとも、左側に飛散したといしの破片が障害物に当って右側にはね返ってくることは考えられるが、右のような障害物はなかったのである。
二 仮りに、原告時雄がエアーグラインダーを作業台に落さなかったとしても、本件事故は原告時雄の過失によって発生したもので被告に責任はない。
1 被告会社に債務不履行はない。
(一) 原告時雄が、本件事故当時使用していたエアーグラインダーはUG一五〇H型であって、調速機に故障はなく、又本件事故発生時の空気圧は六・三kg/cm2以下であって、六・七五kg/cm2ではなかった。
(二) 被告会社は、エアーグラインダーの作業員に対して、入社後一週間位の間班長がつきっきりで指導を行ってその取扱いを修得させ、その後は、毎週金曜日に組長若しくは区長が職場を回って安全の指導を行い、毎週木曜日には昼礼で安全教育を行っている。
(三) エアーグラインダーが最高使用周速度をこえて回転した場合に、危険を知らせる安全装置を設置したエアーグラインダーは製作されていないので、被告会社においては、エアーグラインダーの回転速度を毎月一回検査し、これを作業員に教え、それによって作業員は自ら使用するエアーグラインダーの正常回転数をおぼえているのである。従って、作業員は回転数が異常に増大したときは、音及び振動によって危険を察知し、調速機で回転数を調節して使用するのである。
(四) 原告時雄が当時使用していたエアーグラインダーには、一枚鋼板の防護カバーが取り付けられ、といしが破壊した場合でも作業者の身体にその破片が当ることのないよう配慮されている。しかしながら、といしの破片が顔面に当った場合にもこれを防ぐことのできる作業保護具は未だ存在していないのである。
2 原告時雄の過失
(一) 元来エアーグラインダーの回転数は常に一定するものではないので、作業者は圧縮空気の強さ、鍛工品の種類に応じて、調速機により回転を調節しながら作業を行うものである。そしてエアーグラインダーの回転速度は、エアーグラインダーの振動、圧縮空気の放出音によって容易に知ることができるので、作業者は回転速度が異常に速くなったときは調速機によって回転数を低下させこれを使用する注意義務がある。作業者が耳せんをし、手袋をはめていても、右調節の操作の妨げとはならない。
本件事故の発生当日、被告会社の従業員松村賛平は原告時雄にエアーグラインダーを使用させるにあたって、当該エアーグラインダーが最高使用周速度をこえて回転するので、自ら調速機で回転数の低下することを確認したうえで、原告時雄に対して「給気ハンドルを一寸絞れば十分回転は緩くなる。」と言って注意を与えこれを使用させた。ところが、原告時雄は、作業者の当然の注意義務である回転速度の右調節を怠り、最高使用周速度をこえて回転させ取付といしを破損させたものであるから、原告時雄には重大な過失があったと言わなければならない。
(二) 原告時雄は、エアーグラインダーのといしを取替える資格がないのにかかわらず、事故を起したエアーグラインダーのといしを取替えた重大な過失がある。本件事故の起った当日、原告時雄は同僚の従業員訴外永野正明および同武田清吉と一緒に夜勤作業をしており、被告会社は両名をといしの取替資格を有する者と指名していたのであるから、原告時雄はといしの取替を右両名のどちらかに頼むべきであったところが原告時雄は無断で取替を行ったものである。
なお、原告時雄には、使用を禁止されていた直径二〇五粍のといしを取替着装した過失がある。被告会社は、カムシャフトのバリ取りには直径二〇五粍のといしを使用することを禁示し、常に直径一〇〇ないし一五〇粍のといしを使用するよう指導教育しており、原告時雄もこれを熟知していた。しかるに、原告時雄は右指導教育を無視し、あえて禁止されていた直径二〇五粍のといしを取替着装したものである。
≪証拠関係省略≫
理由
一 当事者間に争いのない事実
原告時雄が昭和四五年一月一九日被告会社に入社し、製造部検査課に配置されてエアーグラインダーでバリ取り作業に従事していたもの、被告会社が鍛造業界において専業メーカーとして日本有数の企業であること、原告時雄が、その主張の日時場所においてエアーグラインダー(但し、本件エアーグラインダーと別ものかどうかを除く)を使用してカムシャフトのバリ取りに従事中、といしが破損し、その破片が顔面にあたって、顔面挫創、両眼球破裂兼鼻骨骨折の傷害を被ったこと、原告時雄の入院と通院の経過については当事者間に争いがない。
二 本件事故の発生
≪証拠省略≫によると、原告時雄が、昭和四七年八月三日の夜九時三〇分から翌朝七時一五分までの深夜勤務の、カムシャフトのバリ取り作業に就労しようとしたところ、自分の日頃使用していたエアーグラインダーが故障していることに気付いた。そこで、原告時雄はその旨松村組長に報告したところ、同組長は本件エアーグラインダーを箱の中から出して使用するよう指示した。松村組長は同年七月二八日に本件エアーグラインダーの回転数を測定したところ、調速機が故障していて使用停止の基準として被告会社が定めた毎分八、〇〇〇回転を超え、毎分八、四〇〇回転することを認めたので、これを修理に出す予定にしていたものであるが、当時同作業場備付のエアーグラインダーを多く修理に出して予備のエアーグラインダーが全くなかったので、止むなく調速機が故障していることを知りながら、原告時雄にこれが故障エアーグラインダーであることを告げないで使用を命じたのであった。原告時雄が本件エアーグラインダーを箱から取り出してみると、直径二〇五粍の平型ポリノイドといしが取付けてあった。原告時雄は、カムシャフトのバリ取り作業はその日が初めての経験であって、カムシャフトのバリ取りには、直径一〇〇ないし一五〇粍のといしを使用すべきで、同二〇五粍のといしを使用してはならないということを知らなかったので、直径二〇五粍のといしを着装したまま作業に入った。そして、翌日の八月四日午前一時四五分頃になって、取付けてあったといしが摩滅してこれを取替える必要が生じた。原告時雄は、といしの取替竝にその試運転については法規による有資格者でなければできないことを知っていたが、被告会社においては、法規による資格の有無にかかわらず、作業員が勝手にといしの取替を行うのが慣例となっており、同日一緒に働いていた同僚の訴外永野正明、同武田清吉も法規による資格がないのにかかわらず勝手にといしの取替を行っているので、原告時雄も直径二〇五粍のといしを取替え着装して作業を続行していた。ところが、同日午前六時二〇分頃被告会社は本件エアーグラインダーの定格空気圧が六kg/cm2であるのに、それまでの空気圧が約五・二kg/cm2であったのを急激に約六・七五kg/cm2に上昇させて送気し、右定格空気圧を超えたため、本件エアーグラインダーは調速機故障のため、最高使用周速度毎分四、八〇〇米を大幅に超える毎分五、九九五米で回転し、もって右着装といしが破損したこと、原告時雄が本件事故でその労働能力を一〇〇パーセント喪失し、終生看護を必要とする後遺障害をもつ身体となったことが認められる。≪証拠判断省略≫
三 エアーグラインダーの着装といしは、最高使用周速度をこえて回転するときは無負荷(空回転)、有負荷(被研削物にといしが接触している状態)を問わず容易に破壊する危険があるので、事業者は作業者に対して、最高使用周速度をこえて回転する故障エアーグラインダーの使用を禁止し、又エアーグラインダーが故障しても、異常に回転数が上昇しないように送気空気圧を、当該エアーグラインダーの定格空気圧以下に維持する債務があるものというべきである。
ところが、右認定事実によると、債務者たる被告は右債務の履行をなさなかったため本件事故を惹起したのであるから、爾余の点を判断する迄もなく、原告らはこれによって被った損害の賠償を請求できることになる。
四 被告は、原告時雄がエアーグラインダーを作業台の上に落した旨主張するが、被告がその根拠とする理由づけは次の理由からいずれも納得できないのみならず、この点を立証するに足る証拠もないから採用できない。
1 作業台上の痕跡について、
≪証拠省略≫によると、原告時雄が本件事故当時使用していた作業台上に比較的新しい小さい凹んだ痕跡が見られたが、これが、エアーグラインダーを作業台上に落し回転中のといしで擦った痕跡とは容易に断定することはできない。≪証拠判断省略≫
2 防護カバーのため、といしの破片が左側に飛ぶとの主張について、
(一) 被告はエアーグラインダーに防護カバーが取付けられているので、カムシャフトのバリ取り作業中にといしが破損すると、その破片は作業者からみて左斜上方に飛び右側に飛ぶことは経験則上あり得ないと主張するが、≪証拠省略≫によると、右防護カバーはといし固定側のみに厚さ三粍の半円型の鋼板を蒲鉾型にとりつけ、その縁を三糎ほど前方に折り曲げた簡単なものであるので、といしが破損した場合、必ず左斜上方にのみ飛び右側に破片がおちないと速断するには躊躇せざるを得ない。この点につき、被告は実験の結果を記録した資料その他これが理解を助けるに足る何らの資料も提出しないので、右主張を直ちに認めることはできない。
(二) 次に、被告は原告の作業位置からみて、といしの破片が左側に一個、右側に四個落ちており、正常な作業状態のもとでは、といしの破片が作業者の右側に多く飛散することはあり得ないものと主張する。
しかしながら、被告がここで主張しているのは、作業位置を成立に争いのない甲第八号証(実況見分調書)の見取図第二号に図示してある、作業台上のカムシャフトに本件エアーグラインダーの着装といしが直角にいわゆる有負荷の状態で回転していたことを前提に、もしそうであればといしの破片は左側にのみ飛び、同見取図のようにカムシャフトの左側に少しはなれて一個、右側の近いところに三個、少しはなれた右側に一個落ちるようなことはありえない旨述べていることは明らかである。
ところが、本件事故が発生した際に、本件エアーグラインダーの着装といしが有負荷であったか無負荷であったか、本件エアーグラインダーの位置が、当該カムシャフトの上方、左右にどの位はなれ又、右カムシャフト及び作業台の平面にいかなる角度にあったかということについてこれを確定する証拠はなにもない。そうすると、この点に関する被告の主張は一つの仮定におけるその可能性を述べているにすぎないから、これまた証拠として採用することはできない。
五 次に、被告は本件事故当時原告時雄が使用していたエアーグラインダーは、UG一五〇H型の高速エアーグラインダーであって、本件事故発生時の空気圧は六・三kg/cm2以下であったと主張するが、前掲各証拠にてらしてこれを認めることはできない。≪証拠省略≫中、右エアーグラインダーはUG一五〇H型の第三〇三七三号であった旨の記載は、同人が誤って述べているものと解するのが相当であるし、検乙第二号証のプレッシャーメーターグラフも本件事故発生時のものと直ちに確認できないので、右結論の妨げとなるものではない。
六 被告は、原告時雄が調速機による回転速度の調節を怠った過失がある旨主張する。
≪証拠省略≫によると、UG一五〇型エアーグラインダーには調速機がついていて、これによって回転数を調整できるようになっているものの、同型エアーグラインダーは個々のグラインダー毎に回転速度がまちまちで、一定しないうえ、回転速度を示すメーター、その他回転速度を知ることのできる装置もついていない。よって、作業者が最高使用周速度を超えているかどうか判定することは困難で、ただ、当該エアーグラインダーを使い慣れた経験の深いものが、その振動、圧縮空気の放出音などの感覚によって回転速度を推定することが出来るに止るのである。そして、前述のとおり、最高使用周速度をこえて回転すると、着装といしが容易に破壊して事故を起す危険があるので、被告会社においては、調速機によって毎分八、〇〇〇回転を超えないようにし、これを超えるものは調速機の故障として修理に出していたことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫
右のとおり、本件エアーグラインダーの回転速度を判定することが非常に困難であり、しかも前記認定のとおり、松村組長は原告時雄に本件エアーグラインダーが故障している旨告げないでこれが使用を命じたのであるから、原告時雄に過失があったとは到底考えられない。仮に原告時雄が当時本件エアーグラインダーの振動、圧縮空気の放出音、火花の散り方などによって最高使用周速度を超えていることを知り、調速機によって回転速度を調節すべきであったとして、或程度の過失が認められるとしても、その程度の過失は、過失相殺の対象には該当しない。
七 更に被告は、原告時雄は無断で、しかも禁止されている直径二〇五粍のといしを取替えた過失があると主張するが、前述認定したとおり、当該作業場には、といしを取替える法規による有資格者はおらず、作業員が右資格の有無にかかわらず勝手にといしの取替を行う慣例があったこと、原告時雄は当時直径二〇五粍のといしを使用してはならないということを知らされていなかったのであるから、この主張も又採用することができない。
八 原告時雄の損害
1 得べかりし賃金 金四二、三四七、六一八円
本件事故の発生した昭和四七年八月四日当時、原告時雄が満三四才であったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、原告時雄は本件事故にあわなければ満五七才まで、すなわち定年退職時の昭和六九年一〇月迄勤務したものと推定されるし、原告時雄の昭和四六年八月から同四七年七月迄の一年間の賃金総収入は金一、二四三、九一五円であったことが認められる。
そこで、右賃金総収入の額を基本とし、賃上率を昭和四八年一月から同五一年一二月迄毎年一〇パーセント、同五二年一月以降は毎年七パーセントとしてこれを加算し、年五分の割合による中間利息をホフマン方式によって控除し、定年退職までの総賃金の額の現価を算出すると、別表第三のとおりになる。
2 原告時雄は昭和六九年一一月以降すなわち停年退職後の得べかりし収入として、金九、七一六、〇〇〇円を請求するが、とおい将来のことで推計に確実性が少いのでここでは計上しない。
3 原告時雄の得べかりし退職金 金四、〇二一、〇〇〇円
原告時雄が昭和四五年一月一九日被告会社に入社したことは当事者間に争いがない。従って、原告時雄は本件事故にあわなければ、同六九年一〇月の定年退職時まで稼働したはずである。そしてその勤続年数は二二年九月となる。≪証拠省略≫によると、退職金支給率は本給の二八・一二五であることが認められる。≪証拠省略≫によると、昭和四八年四月一日現在の原告時雄の本給は金六八、三四〇円であるから、これを基準とし、同年四月から同五一年一二月迄毎年一〇パーセント、同五二年一月以降は毎年七パーセント賃上されるものとしてこれを加算すると、別表第三のとおり定年退職時の本給は金三〇七、四二〇円となるから、これに右係数を乗じホフマン式計算によって現価を算出すると次のとおりになる。
金307,420円×28.125×0.4651(23年のホフマン係数)=金4,021,000円(金1,000円未満切捨)
4 付添費 金一五、〇九八、〇〇〇円
原告時雄の生年月日は昭和一二年一〇月一五日であるから、厚生省統計第一二回生命表によるとその平均余命は三八年である。付添費を一年間金七二〇、〇〇〇円とし、右期間の付添費用合計額の現価をホフマン方式で算出すると次のとおりである。
金720,000円×20.970(38年のホフマン係数)=金15,098,000円(金1,000円未満切捨)
5 慰藉料 金一〇、〇〇〇、〇〇〇円
本件事故の発生原因、傷害の部位程度、治療経過、後遺障害の程度、その他諸般の事情を斟酌すると原告時雄に対する慰藉料の額は金一〇、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
6 弁護士費用
本件訴訟の請求額、事件の難易、認容額その他諸般の事情からすると、弁護士費用は後記原告清子の弁護士費用と合算して、金五、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
7 損益相殺
以上、原告時雄の被った損害額の合計は金七六、四六六、六一八円となる。しかしながら≪証拠省略≫からすると、原告時雄は、労災保険法に基づき保険金三、九九一、九八四円と、被告会社から見舞金五一六、一〇〇円、合計金四、五〇八、〇八四円の支給を受けていることが認められるから、これを控除すると、残額は金七一、九五八、五三四円となる。
九 原告清子の損害 金三、〇〇〇、〇〇〇円
原告清子は原告時雄の妻として、被害者である原告時雄が生命を害された場合に比べて著るしく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたこと明らかであるから、その慰藉料として金三、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
なお、原告清子はその弁護士費用として金三〇〇、〇〇〇円を請求するが、前記の原告時雄の弁護士費用と合算して認める方が相当であるのでここには計上しない。
一〇 原告一郎、同健二の損害 合計金一、〇〇〇、〇〇〇円
原告一郎、同健二はそれぞれ原告時雄の子として、父親たる原告時雄が生命を害された場合に比べて著るしく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたこと明らかであるから、その慰藉料として各金五〇〇、〇〇〇円が相当である。
一一 結論
以上述べたところからすると、被告は、原告時雄に対して金七一、九五八、五三四円、原告清子に対して金三、〇〇〇、〇〇〇円、原告一郎に対して金五〇〇、〇〇〇円、原告健二に対して金五〇〇、〇〇〇円および右の各金員に対して、本件事故の翌日である昭和四七年八月五日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払はなければならない。
そうすると、原告らの本訴各請求は右の限度で正当であるからこれを認容しその余は失当として棄却する。訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石藤太郎)
<以下省略>